さけ、時々、めし

日本酒、音楽、人文科学ラヴァーズ

野蛮への退行ともいえる社畜の飲み会の生産性のなさの考察

社会人になって飲み会が以前より嫌いになった。大学時代は友人と、バイト先の社員や先輩と、はたまた大人数集まるパーティーと、飲み会にカテゴライズされるものは大好きであって、金があれば無理をして参加し、金がなければないなりに参加させてもらったくらい好きだった。ナンパとかワンナイラブとか色恋事は一切目的にせず、ただ人と会話をして酔い、思い出話でも新しい知識でも、なんでも受け入れて記憶がなくなるまで夜を突っ走った。ある意味ストイックに飲んでいた。

しかし、社会人3年目を迎えたあたりから、どこかで何かの拍子に人と飲むのをかったるく感じ始めている自分がいることに気がついた。一人で誰にも話しかけられずに黙々と本を読んだりぼんやり酒を眺めたりして酒を飲むほうに気持ちが向いていることが多くなった。一人で飲みに行っては話しかけるなオーラ全開で淡々と飲み、絡まれたら基本受け流してさっさと勘定、という態度の悪い客になってしまったことも何度かあった。その度にちょっとは反省し、なぜまあこんな禍事が身に降りかかるような傾向になってしまったか考えた。

結論からいうと、酒飲んで人と話した際に快楽より苦痛を受けることが増えたから、ということに落ち着いた。

学生の頃は気付かなかったけど、人の話を聞かずに俺が俺が、となんでも割りこんだり、過去の栄光を話したがるやつがなんと多いことだろう社会には。従順でまっさらな学生だった頃は「そういう人やそういうことを言いたい人って案外多いんだなあ」くらいにしか感じていなかったが、今やその渦中。の自分にとってそういう存在は完全に食傷であって、飽きた。

最近気づいたのが、絡んできても自分に色々聞いてくるタイプは基本まともで知識欲に駆られている傾向にあるため、会話が成立する事が多くこちらも飽きずに結構楽しい時間を過ごすことができる。

厄介なのが「俺の話を聞け」タイプの人間であって、誰彼構わず聞きたくもない無駄話をしかけてくる。クソの役にも立たないような内容を繰り返す。そう、こういう奴が飽和している、社会には。さみしいことに学生の頃はそんなじゃなかったのに社会人になってから仕事つらいとかおれの仕事が、とかそういうタイプになっちゃったやつもちらほら。

社畜になるとイエスしか選択肢がなくなって自分の思いのたけを吐き出す場所がなくなるからだとしたら、その上司はやり手だな、と思う。完全に部下をコントロールして自分に都合のいい環境を作っているわけだから。イッツ・ア・スモール・ワールド。自分の世界。その自分の世界を構築する狭い世界に住んでいる連中が、彼の家の、彼の世界の外に出た時、彼は同様のやり方で周囲とコミュニケーションを取ろうとするのだろう。 

会社っていうのはどうしようもない閉塞的な世界だね。ってたらたらしてるのも行く予定のなかった飲み会にカウントされたのがすべてなんだけど。せっかくの花金、美しい夜は今や悪臭を放つ溝川の底に沈み二度と浮き上がってくることはないのでした。