さけ、時々、めし

日本酒、音楽、人文科学ラヴァーズ

開く夢なぞあるじゃなし


次家で飲む時は何の酒をどんなやつを合わせて飲もうかな、って仕事帰りの地下鉄の中でぼんやり考えるのは撹拌されたプレーンヨーグルトみたいな穏やかな時間というか、自分の想像力が試されている時間というか、そんな感じがしてとても平和。
牛筋を仕込んだりクリームチーズを酒粕に漬けるためには水曜くらいから準備しなきゃいけないから買いに行かなきゃなー、って面倒だからかどやか丸福でもいいなー、とか葛藤がある。
買ってきてしまえばなんだかんだ料理するのも楽しいから人間の怠惰さって結局やる気があればけっこう対処できるもんだよなあとか松岡修造的解決方法の正しさをその度実感するんだけど、一方で手間のかかる料理はやっぱり怠惰さが勝ってしまうから修造万能説はあっさり瓦解する。
手間がかかる、という表現も色々あると思うけど、煮込む系は最初の下ごしらえだけなので個人的には面倒フォルダには分類されない。しかし、根菜の皮むき、とか魚の下ごしらえ、といった作業を行わなければならなくなった時、自分は怠惰のサルガッソー海溝の底に沈んだサブマリンと化す。
手間がかかるものはやっぱり他の人にやってもらいたいけど、でもやっぱり食べた~い、という相反するこの気持ちを煽るものの中で割とトップレベルに属するのは「かきのもと」なんじゃないかなと思う。
http://www.pref.niigata.lg.jp/syokuhin/shun10_kakinomoto.html
「かきのもと」は食用菊のことで、故郷の新潟ではよく食卓に並ぶ。花弁をがくからむしって、その花弁をおひたしにしたり酢の物に調理して食するんだけど、そのむしり作業が結構半端ないレベルでめんどくさい。昔散々手伝わされて、しかも当時の自分にとってはあまりうまくもなんともない存在であったため、「かきのもと」は憎悪の対象であった。が、それが酒を飲むようになると不思議なもので、あれ、いいじゃん、みたいな、存在に変化していく。酒を飲むと趣向が変化するんだなぁってことを身をもって実感する。
年、かな、ってははって鼻で笑って結局今日は丸福。な、華金。話に花が咲いて空きっ腹にぶち込む焼酎ハイボールが胃の中で火を付けて獄炎。

ぬる燗への所感

 

この時期くらいから家で酒を飲む時は必然というか、なんとなくというか、ぬる燗が増える。ビール→吟醸系の香るやつとか酒単体で飲むやつ1合→ぬる燗で飽きるまで、って流れでだいたい飲むんだけどぬる燗は結構半端ないレベルの食中酒なんじゃないかな、って思う。冷で飲むときと比較して酸味の主張が増すし熱燗ほど香りが飛ばないから単体でも酒の表情がいい感じだし、料理に合わすとどんな料理に対しても旨味を増強させる究極の味の素といえる存在に化ける。純米系統なら酸と腰がかなりはっきりするから煮凝りとか芋煮とかしっかりしたので飲みたいし、本醸造系統なら軽めの酸が魚を引き立てるから刺身とかカルパッチョとかで飲むのが好きだ。

そんなライトめな本醸造のぬる燗に合わせるために刺身をよく買うんだけど、外れると全てが台無しになるからそこは慎重に行く。東京は飲み屋と同様、スーパーの当たり外れも非常に激しいんだなあということを学んだこの三年でよく行くのはやはり吉池だ。下手な居酒屋や鮨屋で食うよりよっぽどうまい鮪がタイムセールとかだと結構安く買えて、切り落としを買って自分でネギトロにするのも手間はかかるがテイストグッド。

http://www.yoshiike-group.co.jp/

有名どころで魚寅も看板に偽りなしでマグロもタコもブツが美味い。

http://www.knet.or.jp/uotora/uoto2.html

こうやって振り返ると、やはり鮪を取り扱ったり売れ筋だったりは鮪なのかなあと思うし、足立市場が素人向けに開放している足立市場の日、でも、みんな買ってるのはやっぱり鮪だったりする。

http://www.adachi-shijyo.or.jp/adachi

確かに美味いからそりゃーまあそうだよなーって、違和感はない。そもそも一人暮らしだといくらよさげなアジやらサバならが売っていたってまず買うのに躊躇するし。サクやブツで売っている鮪は手が出しやすい。

ただ、そもそもなんだけど鮪は酒を結構選ぶとも思う。赤味と血の感じが強いから米っぽいかライトにすっきりしてるか、ざっくりそういうタイプじゃないと、なんかチガウ、って思ってしまう。まあどうせ酔ってきちゃえばわかんなくなるんだけど。白身のカルパッチョでライトにメロン気味なぬる燗が飲みたいぜ。早く週末来ねえかな。

希少価値こそが甘露か

何かしらマスメディアで取り上げられると今まで見向きもされなかったものに人が集まる、というのはよくあることで、始まったことじゃないけど加熱した人気によりずっと贔屓にしていた人が不遇を囲うことになるのはかわいそうだよな、と思う。

日本酒では今現在最もよくわからないレベルのプレミアムがついているのは14代でまあ間違いなく、定価で買うことはほぼ不可能。長く取り扱ってきた特約店の常連になって抽選でもしない限りまず手に入らない。

確かにうまいと思う。上品なボディ感、くどくない甘み、余韻を引く飲み下した際の香り。どれもかなりの高レベルではあるけど、楽天とかで定価+2万円とかで売っているのを見ると、それってどーいうことだよ、と思うし、それだけ出しても買いたい人がいるのかよ、って驚く。そんなに14代じゃなきゃダメなの?他にもうまい酒あるじゃん。

うまいからといって、全国津々浦々の酒飲み全員が全員14代を所望しているくらい需要があるわけでもないだろうし、供給量がそもそも少ないのは推測できるけどそんなわけのわからないプレミアムを付加して供給してやろうぼろ儲けだしめしめ、と蔵元だって考えてないはずだ。

すなわち何が起こっているかというと、いきすぎた口コミとマスメディアの過当喧伝が14代を完全なレジェンド化してしまったのではないかと思う。

恐らくこれは新潟淡麗ブームの際にも生じていただろう現象で、久保田や越乃寒梅も90年代バブルの時にレジェンド化され完全なボッタ価格で店頭に並び、頭の中も泡だらけで中身のないバブル世代にありがたがって購入されていたはずだ。

どちらも小売店、というより転売ヤーの犠牲になってただ横流しされるだけの手段になってしまっているのは悲しいことで、酒の管理も知らない素人にちゃらちゃら流され品質が劣化し、「高いのにそうでもないな」とか間違った感想を抱かれ誤解を解く時間も与えられない、ってなんの悲劇なんだろう。

わけわからんプレミアムがついてるくせによくわからん品質で買うくらいならふるさと納税しやがれ。とは言わないけどこの記事。

http://www.yomiuri.co.jp/economy/20161017-OYT1T50019.html?from=ytop_main9

若干商売っ気ありすぎじゃないか?10万??とも思うけど、大きな工業地帯や産業が他地域に比べて少ない東北にとって酒造は貴重な製造業。これくらい色付けていいのかなーとも思う。自分は。

ふるさと納税で渡すほうが、転売ヤーにわけわからんプレミアムつけて売られるより遥かにマシ。きちんと品質を保証できるのであれば。

ただまあ、あまりに商売に走り過ぎるのも寄附と感謝の品のやり取り、という関係から、ただの貨幣と現物の物々交換、ってなっちゃいそうでなんだかな。

東向島の路地裏。やさぐれサラレナイ。

ここで飲んだぜラーストナイト。丸福。つーかほぼ週一だけど。

今週の一人酒。って、金曜も終電終わってから一人かどや行ったんだった。

レーベンブロイ焼酎ハイボール×6、ぬか漬けとヤサイ炒め。〆て2100円。

淡々と飲んで適度に話す、その距離感がちょうどいい。また来週は何曜日に行こうかな。

f:id:ryoma69aoki:20161016215046j:plain

坊主憎けりゃ

 

川谷絵音がやってることといえば、センスのあるメロディー作成とゴシップ記事を賑わす下衆な話題作りの二つ、みたいになっていて、高い確率で道徳倫理的に悖る人間なんだろうなあという認識を個人的に持っている。既婚者のくせに婦女子をたぶらかす、未成年と酒を飲む、これだけみたらけっこうどこでもあるじゃん、って話なんだけど、川谷が炎上しているのは相手が美人だったから、という理由に尽きるのであって、妬み嫉みがガソリンとなって彼の体を焼いている。

ただ、ここで彼の作った楽曲とかも同時に非難の対象にしている奴もいるが、それはおかしいと思う。楽曲、すなわち音楽作品は芸術のカテゴリーに属している以上、芸術は作者がどんなボンクラであろうと独立して存在しているわけであって批判の対象としてはずれている。

川谷が憎かろうと、その曲まで憎むのはお門違いなんじゃないかなあ。

野蛮への退行ともいえる社畜の飲み会の生産性のなさの考察

社会人になって飲み会が以前より嫌いになった。大学時代は友人と、バイト先の社員や先輩と、はたまた大人数集まるパーティーと、飲み会にカテゴライズされるものは大好きであって、金があれば無理をして参加し、金がなければないなりに参加させてもらったくらい好きだった。ナンパとかワンナイラブとか色恋事は一切目的にせず、ただ人と会話をして酔い、思い出話でも新しい知識でも、なんでも受け入れて記憶がなくなるまで夜を突っ走った。ある意味ストイックに飲んでいた。

しかし、社会人3年目を迎えたあたりから、どこかで何かの拍子に人と飲むのをかったるく感じ始めている自分がいることに気がついた。一人で誰にも話しかけられずに黙々と本を読んだりぼんやり酒を眺めたりして酒を飲むほうに気持ちが向いていることが多くなった。一人で飲みに行っては話しかけるなオーラ全開で淡々と飲み、絡まれたら基本受け流してさっさと勘定、という態度の悪い客になってしまったことも何度かあった。その度にちょっとは反省し、なぜまあこんな禍事が身に降りかかるような傾向になってしまったか考えた。

結論からいうと、酒飲んで人と話した際に快楽より苦痛を受けることが増えたから、ということに落ち着いた。

学生の頃は気付かなかったけど、人の話を聞かずに俺が俺が、となんでも割りこんだり、過去の栄光を話したがるやつがなんと多いことだろう社会には。従順でまっさらな学生だった頃は「そういう人やそういうことを言いたい人って案外多いんだなあ」くらいにしか感じていなかったが、今やその渦中。の自分にとってそういう存在は完全に食傷であって、飽きた。

最近気づいたのが、絡んできても自分に色々聞いてくるタイプは基本まともで知識欲に駆られている傾向にあるため、会話が成立する事が多くこちらも飽きずに結構楽しい時間を過ごすことができる。

厄介なのが「俺の話を聞け」タイプの人間であって、誰彼構わず聞きたくもない無駄話をしかけてくる。クソの役にも立たないような内容を繰り返す。そう、こういう奴が飽和している、社会には。さみしいことに学生の頃はそんなじゃなかったのに社会人になってから仕事つらいとかおれの仕事が、とかそういうタイプになっちゃったやつもちらほら。

社畜になるとイエスしか選択肢がなくなって自分の思いのたけを吐き出す場所がなくなるからだとしたら、その上司はやり手だな、と思う。完全に部下をコントロールして自分に都合のいい環境を作っているわけだから。イッツ・ア・スモール・ワールド。自分の世界。その自分の世界を構築する狭い世界に住んでいる連中が、彼の家の、彼の世界の外に出た時、彼は同様のやり方で周囲とコミュニケーションを取ろうとするのだろう。 

会社っていうのはどうしようもない閉塞的な世界だね。ってたらたらしてるのも行く予定のなかった飲み会にカウントされたのがすべてなんだけど。せっかくの花金、美しい夜は今や悪臭を放つ溝川の底に沈み二度と浮き上がってくることはないのでした。

越の国から淡々と。 ―酒の国にいがたの日の思い出―

10月1日が何の日かと問われて、「酒の日です。」って答える人は結構染まってるな、って思う。

そもそもなぜ10月1日が酒の日になったか。ルーツは色々あるようで、寒い時期にしか基本酒を醸すのが難しかった昔は酒造りの開始が10月からだったからその名残だ、とか豊穣の秋を祝ってのことだ、とか細かいことはよくわからない。いずれにせよ自然の大いなる実りなしに酒のないことを自覚しているからこそ酒の日と定めたのだろうけど、酒と自然のコネクション、そのことを忘れずにやってこうぜダーリン、君を永遠に思い続けるよ。って自然や先人達のことを畏怖し思いやってるのがいかにもいい感じだなあと思う。

斯様のようなノリで10月1日=日本清酒、って等式が成立している以上、10月1日はやはり清酒を絡めた祭事をやりたいよね、っていうのが人情、ってもので、各地や居酒屋で日本酒フェア、とかを行っている。飲んでいる。幸せそうに、皆。

そんな、みんなけっこう穏やかに清酒を楽しんで季節的な色の強い感じのカルチャーが王道の中、我が祖国新潟は昨年2015年から10月1日を「酒の国にいがたの日」と制定する。って云わば清酒に関して独立宣言みたいな感じじゃね?おいおい随分とタカ派なことをするなあと驚くと同時に独自色を孕むその可能性を見出して実行したことに、やるじゃん、って思う。

昨年は当日に乾杯イベントを行い、300人もの人が詰め掛けて会場は物凄いことになったらしく、今年は路上、アーケード街での開催になったんだけど、結構偉い人とかも来るイベントって、だいたいホテルのレセプション会場とか産業振興なんちゃら、みたいな屋内でやるのがセオリー、って感じなのに屋外。アウトサイド!新潟酒造組合のみなさんはロックなことするなあと思い、その義侠心に心を揺さぶられた自分も当日、自分も東京からわざわざ酒を注ぐために馳せ参じた。(*ボランティアには新潟清酒検定金の達人の資格が必要です。)

新潟淡麗倶楽部(新潟県酒造組合):新潟清酒産地呼称協会

上、中、下越とブースが三つに分かれていて、自分は下越の担当だったのでそこの酒の味を見て、杯を差し出すゲスト達に愛情分並々注いでやったぜ。

最近の日本酒トレンド、みたいなやつで取り上げられるのが、「フレッシュ・フルーティー」とか「芳醇甘口」とか「きもと山廃」みたいなどちらかというと味が濃くてボディ感の強いやつで、こじゃれた居酒屋に行くとそういうのばっかり置いてることに個人的に少し辟易していたのと、そういうトレンドに影響を受けた人が、「上にあげたようなタイプ以外はクソだ!」って誤解して味がライトめなタイプの多い下越の酒を避けてきたら嫌だなー、って警戒してたんだけど、実際は全くの杞憂でした。むしろ、「とにかく辛いやつ」「辛口は?」って質問ばかりで新潟市民はやっぱりそういうテイストが好きなんだなあと実感した。実感し過ぎて、あんまり冒険しない保守的な感じもそうだよなあとも思った。

結構あっという間に時間が過ぎて、ボランティアの立場としてすごく楽しかった。普段仕事でこんな遣り甲斐感じられたらな、とも思ったがそれは贅沢なことなんだろう。素敵なイベントだった。

次の新潟での大規模なイベントはこれ↓

kenshinsake.com

であって、新潟の中でも普段下越や東京だと見ない銘柄がたくさんあって興味深い。

つーか飲みたい。市内だと売ってないんだよねそもそも。新潟というと酒の陣が有名になっているが、こういう祭りのほうがゆっくりと楽しめるんじゃないかなあと思う。アオーレとかもね。

www.city.nagaoka.niigata.jp

 

近年の酒の陣が混みすぎてマジ乱戦な以上は。

でもいくら乱戦になろうと来年も再来年も自分は決戦の地万代島に駆けつけるし、血の一滴も酒の一滴も流さずこぼさず、名前の如く玲瓏な清酒の源泉に清らかに入水願い。